どうしたら在宅介護は楽しくなるのだろうか?
「わたしね、山口県出身でね、海に囲まれた土地で育ってきたでしょ。
海の近くはね、夏でも涼しいのよ。」
デイサービスの朝、ぼくはある女性利用者さんの血圧を測っていた。
ぼくは返事をする。
「そうなんですね!山口出身なんですね!今日の血圧は…ちょっと高いですね…」
「ここの土地に引っ越してきてビックリした。こっちの夏は蒸し暑いでしょ。血圧が上がってね、一回倒れたことあるのよ」
血圧を測る時、彼女とは毎回この会話になる。
何回この会話をしてきたか….
もやは台本があるのではないかと思うレベル。
ぼくは毎回はじめて聞いたかのように「そうなんですね!」と反応するようにしてる。決して「昨日も聞きましたよ!その話!」なんてことは言わない。
とまぁ…デイサービスで介護をしてる光景なんだけども。
こんにちは、のざき寿(ひさし)といいます。
認知症の方は、何度でも同じ話をする。
さて、あなたなら、どんなリアクションを取りますか?

もう…何回同じ話を聞けばいいの…
そう思ってちょっとウンザリして、適当な相槌をしてしまう?
でも、相手は心を開いてはじめてしゃべったと思ってるかもしれない。
適当なリアクションを取ってしまうと、その方との信頼関係が上手く築けないこともある。逆に親身に話を聞くだけで相手との距離は近くなることもある。
介護現場・在宅介護はこんな状況の繰り返しだよね。
介護は体力的な体の疲れもさることながら、こうした心の疲れのほうが大変だったりするよね。
どうしたらいいのか。
ぼくはね、利用者さんと接していて疲れを感じにくいのよ。なんなら楽しくて仕方ない。
たぶん元お笑い芸人だったこともあって、ツッコむ癖がついてるのね。
ぼくはね、利用者さんとコミュニケーションでは、口には出さないけども心の中で「ツッコミ」を入れてたりする。
たとえばさっきの「何回も同じ話をする利用者さん」の例でいうと…
(昨日も一昨日もその前の日も一語一句同じ話を聞いたけど!)
口にしてはダメよ。
あくまで心の中でツッコむこと。ツッコミぽく心の声で言うこと。ツッコミを楽しむこと。
だからね、ぼくはいいツッコミができた時、一人でニヤニヤしてることがある。
このツッコミがね、ぼくはぼくの介護を楽にしてると思うのよ。
ん?性格悪いかな?裏表あって腹黒いかな。
どうだろ?そっけない対応するよりマシじゃない?
介護疲れを溜め込むよりも良くない?
(あれ?ぼくは昨日にタイムスリップしたんか?)
ちょっと乗っかって、疑問ツッコミを入れてみたり。
介護ってね、とくに認知症介護ってね、真正面から向き合うと本当に大変なのよ。
「おとなしくしててね!」「外に出かけないでね!」「同じものは買ってこないでね!」って、相手の行動を制限しようとしてもね、絶対に思い通りに行かないから。
ならば一歩引いた目線に立って、客観性を持って状況を楽しむようにした方がいいのではないかな。
その客観性を保つ方法が「ツッコミ」なのかなと、ぼくはそう思ってる。
面白いツッコミが思いついた時、たぶんあなたも一人でニヤニヤしてると思うよ。
介護を軽く・楽しくするツッコミを一緒に共有できたらいいなって、そう思ってるんです。
そもそもツッコミってどうやってやるの?
ツッコミって何だろう…う〜ん、難しい問いだ。
そもそもプロの芸人でも「ツッコミってひとことで言うと何?」っていう質問に対して、それぞれの意見・回答があると思う。
芸風が違えば、ツッコミに対する考え方も変わってくるからねぇ。
たとえば、ダウンタウンの浜田さんのツッコミと、おぎやはぎのやはぎさんのツッコミでは質が違いすぎる。激しかったり、優しかったり。
ただ、
ぼくの中では明確に言えることがひとつだけあって、それは、
ツッコミは指摘じゃないってこと
注意することではない、とも言えるかな。
ツッコミは独自の視点を持つこと
指摘は、問題となるモノゴトを取り上げること。
ツッコミは、違和感のあるモノゴトに気づいて独自の目線で拾い上げること。
ぼくはこのように定義してる。
たとえば、ある車が交通ルールを破って赤信号を無視したとしよう。
指摘は「信号無視すんな!」だとする。ではツッコミは?
「どんだけ急いでるんだよ!父(ちち)キトクか!」
ぼくは信号無視よりも「急いでること」に注目した。そしてツッコミを入れてから指摘する。
「どんだけ急いでるんだよ!チチキトクか!(ツッコミ)
信号無視したらダメだろ!(指摘)」
どうかな。なんかちょっと面白くなってきたでしょ。
あなたならどこに着目してツッコミを入れる?
指摘は相手の気分を悪くする
たとえばデイサービスで、
認知症のある利用者さんがいて、足腰が悪くて転倒のリスクがあるとしようか。
認知症のある利用者さんはほとんどの方が自分の状態を把握できていない。だから転倒のリスクを考えずにひとりでトイレに行こうとしたりする。
これは介護の現場ではよくある話で、
「トイレ順番に案内してますので、座って少しお待ちいただけますか?」
と、介護職員が声かけをして、その方はいったん座るんだけども、目を離した数秒後には…席を立ってひとりでトイレに行こうとする。
「座って待ってて!」
介護職員が慌てて駆け寄って、語気を荒くして声かけし、その利用者さんを座らせる。
こんな光景が何回も繰り返されるわけよ。
立ち上がること(問題)に対して、「座ってて!」(指摘)声かけをする。
これではね、利用者さんも介護職員も、どちらもストレスを溜め込んでしまうのね。
だから…指摘じゃなくてツッコミを入れる。
(わしゃ、反復横跳びしてんのか!)
※()は心の声
このツッコミは、その利用者さんとの行き来に対して着目したツッコミ。
一度ツッコミを入れてから、冷静になってもう一度、
「トイレ順番に案内してますので、座って少しお待ちいただけますか?」
と優しく伝えればいい。
そんな余裕ねーわ!って思うかもしれんけども、でもその心の余裕が持てるかどうかで介護が軽くなったり楽しくなったりすると思うのよね。
ツッコミで介護現場に笑いを作ろう
「ツッコミは心の声で言おう!」って言ってきたけど、
人を傷つけない言葉・ツッコミだったら声に出して言ってもいかも。
利用者さんで冗談お通じる方はたくさんいるし、周りで仕事してる介護職員を笑かしに行ってもいい。
ぼくね、実はツッコミを言ってしまってる。
てか、出ちゃってる。ウケたりスベったり。
これはぼくの個人的な価値観になるけども、
別にええやん、ツッコんでも。
なんかさ、介護・認知症・障害とか、腫れ物に触るように接しててさ、それがなんで「ノーマライズ」やねん!って思うのよ。
自分が介護される側になってないからそんことが言える?って?
いやいや、大変なのって介護だけですか?
ぼくはね、
小学校2年生の時に両親が離婚して母子家庭になってめちゃくちゃ貧乏を経験して、そしたらふたつ上の兄貴が不登校になって母とぼくに家庭内暴力を振るうような時代が中学校の3年間続いたのよ。
大変な時期のことを、自分にツッコんで笑いに変えてきたんよ。
芸人してる時もね、消費者金融に100万くらい借金してて。
笑ってないとどうにもならないような日々を送ってきたんよ。
「お前のそれらと介護と一緒にするな!」って言われても、
別にええやん。相手も周りも笑っているなら。少しぐらい不謹慎でもええやん。
ぼくはそう思ってるのね。
ツッコミの対象となるボケを探そう
ツッコミは、ツッコミだけでは存在できないのね。
つまり「ボケ」の存在がいなければ、ツッコミは存在することが許されないわけ。
だとすると、「ボケ」って何だろう?って話になってくるよね。
ぼくが考えるボケっていうのは「違和感」。
「ん?なんかちょっと変だな?」とか、
「なんでそうなってんのかな?」みたいな。
心に引っかかった部分であり、見過ごすことのできない些細な出来事だったりする。
「一般的に…」とか「普通は…」とかから頭ひとつ飛び出してることを見つけよう
「普通に考えたらさぁ〜これはこうじゃない?」とか、社会には一般論ってあるじゃない。「常識的に考えてぇさぁ〜」とか。
法律とか義務とかそういったルールではなくて、
たとえば、
朝は元気よく挨拶しよう、とか、
相手の話は最後まで聞こう、とか、
目上の人には敬語を使おう、とか、
ラーメンの汁は全部飲まない、とか(これは好みか…)
とんかつにはソースをかける、とか(これも好みか…)
夕ご飯はお菓子、とか。(これは食生活か?)
まぁまぁ、世の中で通例となっている考えのことが一般論ってことね。
その一般論からはみ出たことは、まぁほとんどが「ボケ」なのよ。要するに一般常識から外れたことが「違和感」でありボケってこと。
では、介護現場で考えてみようか。
ある利用者さんは、こんな行動をする。
- 同じ話を何回もする
- 1時間に何度もトイレに行く
- 落ち着きがなくて椅子に座ってられない
- さっきご飯を食べたばっかりなのに、また食べようとする
これらの行動をね「ボケ」と言ってしまうことに対して、大きな誤解を生む表現だとは認識してる。好きでそうしてるわけじゃない。そんなことは重々承知した上で書いてる。
でもじゃあ、これらの行動を指摘して何になる?
指摘して改善に向かうことなんてないでしょ。改善に向かわないからってほったらかしにしておく?
だったらさ、ツッコミ入れてもよくね?
笑いがあると介護は楽になる
ぼくは、とある「認知症介護をしてる家族の集い」に参加していた。
介護職員としてご家族さんの話を聞くために。
お昼すぎ、認知症介護をしてる家族さんがぞくぞくとオレンジカフェに集まってくる。
参加者のほとんどの方は差し迫った表情で、足取りは重く顔は下を向いてる。20人ほどの参加者。参加者同士軽い挨拶はするものの、そこで会話が弾むことはない。それぞれの方がそれぞれの在宅介護の悩みを持ってきている。介護の葛藤を心の内に溜め込んでいる。
カフェの大きなテーブルを囲むようにして、介護者の集いは始まった。参加者はうつむいたまま。誰も口を開こうともせず、重苦しい空気のなか会は始まる。
司会者が参加者それぞれに話を振る。「どんなことでお困りですか?」
排泄の失敗が続いて大変だ。
朝起こそうと思ったら寝室にいなかった。一人で散歩に出かけた。
日に日に体重が落ちていって、そろそろかなと覚悟を決めた。
一日中世話ばかりで、もうそろそろ限界だ。
さっきまで無口だった人も話し出すと止まらない。溢れてくる涙をハンカチで抑えながら、絞り出すような声で自分の内に溜め込んだ介護で感じる心の葛藤を語る。
啜り泣く。鼻水を啜る音が止まない。
ある男性参加者が話し出した。
「おかあちゃんの認知症が最近進んできてしまってね。冷蔵庫の中のものを何でも食べちゃうからね、冷蔵庫をチェーンで巻いてね、鍵をかけたんだよ。ダイヤル式のやつをね。」
「それで勝手に冷蔵庫開けるのは解決したんだけど、ぼくがね、その〜鍵の番号を忘れてしまってね…冷蔵庫が開けられないんよ。いやぁ〜参った。ご飯作れない。」
ふふふっ。と。別の参加者の声が漏れる。
「そのうち思い出すだろうと思って。しばらくはコンビニ弁当食べて。」
「思い出せない!結局ね、チェーンをぶった斬って冷蔵庫開けた。賞味期限切れてる食材だけは処分したよ。かあちゃん食べちゃうからね」
うつむいてた参加者が、顔をあげてハンカチを口に当てていた。
・・・
苦しい中にも、笑えることってあるのよね。笑いがあるから苦しいことも乗り越えられたりするのよね。
介護されてる方のほとんどが介護者に対し「そんなことさせてごめんね」と言う。
介護されてる方だって、介護者に笑っていてほしいに決まってる。うんざりした表情で介護されても嬉しくない。
だからこそ少しでもお互いの介護を軽く・楽しくするために、笑いやツッコミがあってもいいじゃないかと、
笑いって、健康にいいからね!
介護には笑いが必要なのだ!
介護の制度とか知識とか技術とか、それらの情報はネット検索すればいくらでも手に入る。対処法で介護が軽くなることはある。
ただ、本当に必要なことは、こういった介護を軽く・楽しくする考え方や心の持ちようなのではないでしょうか。
そして介護を通じて、人生において何を学んだかを共有することではないでしょうか。
ボケとかツッコミとか、それが不謹慎と言われようが、ぼくは大真面目に語りたいと思っています。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
それでは、noteメンバーシップでお待ちしています!
